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戦国時代、豊臣秀吉の九州平定の際、豊後大友氏の先陣として活躍した立花宗茂は、その功により、筑後十三万石の城主として柳川を城地と定めた。 その後関ヶ原の戦いの際、秀吉への恩義から西軍に味方した立花宗茂は、柳川を追われ、かわって柳川に入封した田中吉政が柳川城の建設や城下町、堀割の整備に着手したと言われる。 1620年、再び立花宗茂が城主となり、柳川は、明治維新時の十三代立花鑑寛まで、立花藩の城下町として栄えたそうです。 四代目立花鑑虎(1697年)が、四方に堀を廻らせた総面積約7,000坪のこの地に「集景亭」別邸を構え、遊息の地とし、当時この地域が「花畠」という地名であったことから、柳川の人々は「御花」と呼んでいたそうです。 明治42年から43年に西洋館は迎賓館として建てられ、鹿鳴館様式の伝統ある建物です。 当時は要人たちを迎え園遊会が催されていたという。 明治の面影を伝える柳川情緒のシンボルであり、柳川市民に愛されてきたのでしょう。 当時すでに自家発電所を設け、シャンデリアや電気器具が使われ、今もランプシェイドなど多くの設備が当時のままに残されています。 金甲 大広間の横の廊下には、文禄・慶長の役出兵の際、着用した「金甲」がずらりと並んでいました。 水上能舞台の建設中 松濤園と呼ばれる庭園は、仙台藩松島(現宮城県)の景を模した設計らしい、園内には約280本の松の古木がいまも大切に手入れされています。 大広間前にある巨石は、旧天守閣の台石を移したものだそうです。 池には、毎年10月より4月半ばまで約500羽の野鴨が飛来してくるそうです 薪能 この国指定名勝の、松濤園に特設の水上能舞台が設え、百年の歴史を刻む舞台では名だたる能楽師たちを招き、「御前能」が行われるそうです。 今年は西方沖地震でいたるところに傷跡を残した建物の、修復完成記念として、ひと夜限りの「薪能」が催されるそうです。 5月29日(火)※予備日30日(水) お席が残っているかどうか分りませんが、興味がある方はお問い合わせください。 資料参考=御花 http://www.ohana.co.jp/ TEL0944-73-2189 |
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お、柳川お花ですか。そうか、このお屋敷もお庭も昔の雰囲気そのままですもんね〜。 |
MISTAKER 2007/05/22 08:41 |
お出かけ&お散歩してきたんですか〜♪建物がぴかぴかに見えるんですけど…大事に保存されてるみたいですね♪ |
yuu 2007/05/22 22:24 |
MISTAKERさん、こんばんは♪ |
月桂樹 2007/05/22 23:19 |
yuuちゃん、こんばんは♪ |
月桂樹 2007/05/22 23:25 |
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